思っているより陰々滅々としている。

破滅の主、太宰治。彼のような破滅っぷりは現代においても極めて稀だ。
俺には自殺なんてできないし、死にたいとも思ったことがない。
だからこそ、滅茶苦茶に悩み、落ち込む。
失恋の辛さ、目標からの挫折、友人関係のこじれ、あの日の後悔。

日々悩みまくるし、打ちひしがれまくる。行きすぎるところまで行く。
一枚の和紙のような薄っぺらいプライドと思い出をなんども引き裂いて、紙吹雪が舞う。
輝ける過去の栄光には、朱色の墨で罰をつける。過去の自分に対して、今の俺が採点している状態だ。
その過去の採点がすごく厳しくて、自分を粉のようにするのにはうってつけの必ず殺す、と書いて「必殺」の決め技だ。

こうなるともう後は身を預けるように、サンドバッグ状態で採点を食らう。駄目出しのラッシュと理不尽な焼畑を浴びまくる。舞う紙吹雪は格好の燃焼材料だ。
燃えろ。燃えて燃えて燃えまくれ〜!!!とどこからか声が聞こえるようだ。他所から見れば祭典である。
燃え尽きてあたり一面灰だらけ。まさしく、寅さんの「結構毛だらけ猫灰だらけケツの周りはクソだらけ」である。
そこにぽーっと息を吹きかければ、灰と塵は風にあおられて、またどこかいつかの「俺」に飛んでいく。先ほどまでは紙吹雪の色した空が、どんより重たい向こうの遠い日が見えぬくらい霞んだ灰の色へと変貌している。

綺麗さっぱりだ。俺の手元には何も残っていない!苦汁も甘美も恐悦も不思議も何も残っていない!!!懺悔と清算は済んだ。
まるで口内の粘膜組織が再び構成される如く、俺のペラ一枚の和紙が徐々に徐々に再生されいてく。再生紙である。
「良いか、お前は何も。。。」という俺への添削作業が始まらぬうちに、せっせかっせっせかと従業員と機械総出で俺のすべてを再構築していくのだ。
天を仰ぐ者もいるが、その者の顔は曇っている。そして見上げた空も未だ煤けた色をしている。
いつも両手放しに喜ぶことが出来ぬのは、両手に常に不安と安寧を握っているからである。不安と安寧は一つの竹ひごでつながっている。いや、なんなら賽の目のように「丁半」程度の差異しかないのだ。一を足せば丁になる半のように、一を引けば半になる丁のように。どこまでも表裏のリバーシゲームを繰り返さなければないのだ。

こうしていると、俺はどちらも手放せなくなってしまう。片付けられない、捨てられない、諦められない性格はここからきているのであろうか。その二つの賽の目が吉と出るか凶とでるか。それを超越した悦びは、空からの雄大で可笑しな笑い転げてしまうほどの力でも降りてきて、俺に一本、蜘蛛の糸をたらしでもしない限り、やってこない。必死になって蜘蛛の糸を掴む、その瞬間に手放した不安と安寧の賽は、今日も手汗にまみれた中で俺を揺さぶり続ける。それどころか、雄大な力を持った悦びは、俺の記憶とプライドを燃やした和紙で生まれた灰の空からは、到底見えず、そして間違っても下界に降りてくることはないのである。

空の除染作業から始めねば。
和紙を破く者、和紙に書かれた文字を添削する者、それらを降らす者、火種にして焼き払う者、灰に息を吹く者、和紙を生成する者、空を仰ぎ見て観察する者、賽を握る者。九人の永久機関によって生み出された淀みの空。その空にもう一度青空をもたらすために。
今一度、空を除染する者、がもれなく俺に必要となってくる。さて、空からの力はやってくるのだろうか。